魚太郎の選択 学校に行かない① [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
2学期になり、2週間に1度くらい
学校を休みたがった魚太郎。
どうしても身体が固まって行けそうにない時は、「いいよ~。」と休ませていた。
中学校のクラスで、イジメを受けているらしい。
「嫌な奴はどこでもいるから、優しくしてくれる人に気持ちを集中して、
嫌な奴は、お前も無視したらいいじゃん。」
なんて、魚太郎の本当の心の傷をわかろうともせず、
激を飛ばしてた私・・・・
11月第1週
学校の門まで車で送っても、いよいよ行けなくなり。
身体は固まる。動かない。吐きそうになる・・・。
それでも最初、私はまだ魚太郎の助けを求めるサインに気が付いてなかった
その頃、ばあさんの介護やら、釣りに行けないやらで、ははは(^^;)
ストレス気味だった私。
朝、ばあちゃんがオムツに排便してて、着替えるのに、私を待ってくれてたら助かるけれど、
たぶん気持ちが悪くて、自分でオムツを脱ごうとする。
うまくできるはずもなく、ベッド周辺あちこちにウンコがついてる
で、結果、私の仕事が増える。
おばあちゃんの着替え、ベッド周辺の掃除、布団の洗濯の下洗い。
ばあちゃんの立場になれば、気持ち悪かったんだなあとわかるから、仕方ないよなあ~と思う。
仕方ないよなあ~と理解できるけど、心の中では勘弁してくれよと、思ってしまう。
魚次郎はこだわって、寒いのに半袖のお気に入りのシャツしか着ないと泣く。
そのシャツは洗濯中。
着替えがうまく進まない・・・
で、朝の支度が魚次郎のバスのお迎えまでに全然間に合わない。
私自身の気持ちがいっぱいいっぱいでキィ~っとなってた
その朝、
魚次郎と魚太郎を乗せて、中学校へ向かい、
魚太郎が動けずに、休むことにして・・・
それからひかり園への道中
本当にかわいそうなことをしました。
あの朝、私がしたことは、明らかに虐待でした
私は泣きながら、号泣しながら、
「お母さんだって、人生なんか嫌なことが山ほどあって、いいことがちょびっとあるだけやん。
人生なんて、そんなもんよ。
自分の思い通りになんかならんの。
受け入れて、その中でがんばるか、もうやーめたって、生きるのを辞めるかしかないんじゃー
お母さんはもう疲れた。魚太郎、お前も人生嫌なら、お母さん一緒に死んでやる。
魚次郎はまだよくわかってないのに命を奪ったらかわいそうだから、
ひかり園に預けてからにしよう。」
おおお・・・・
車の中は、怖いところです。
自分のストレスが爆発してしまうところ。
泣くのはいつも車の中
魚次郎は、かわいそうに、神妙に黙ってる。
私が泣くと、肩をヨシヨシしてくれた・・・
魚太郎は、無言・・・・。
しばらく芦田川の土手で時間をつぶし・・・
魚次郎 「河童さんいるかなあ?」
私 「いると思うよ~。でも、川の深~いところにいるから、水に入っていかんと会えないねー。」
魚太郎 「寒いよ! 冷たいよ! 早く車に乗ろうよ!!」
不安な思いをさせました
ひかり園が児童を受ける時間が来たので、ひかり園にGO
泣いた後の私の顔を見て、オペラ先生が心配してくれた。
魚太郎が学校へ行けない話もした。
朝の帰り道・・・
魚太郎にどうする?って聞いたら、
もうちょっと頑張ってみるって・・・・
無理やりそう言わせたんだよね
がんばらないなら一緒に死のう!って言ったのと一緒だもんね
時間がちょっと経ったら、
自分がどんだけ恐ろしいことをしたのか、見えてきた。
反省
反省
超反省
ひでえ親だ
魚太郎に、「ひどいこと言ってごめんね。朝の話は、お前に対してじゃなくて、
お母さん自身が精神的に参っとったんだ。」と・・・・
魚次郎にも不安な思いをさせました。
あー、こんなんじゃ、いかん!
母ちゃんは、どっしり、にっこり、しとかんと!!
その日の夕方、オペラ先生がお電話くださって、
11月6日午後、私のために時間を作ってくださいました。
つづく (魚太郎の了解のもと、記事にしました。)