魚太郎の選択 学校に行かない⑤ [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
魚太郎が学校へ行かない日が続くと・・・
家族の中にもその影響が出てきた。
ひとつは魚次郎
魚次郎が生まれてから、私の子どもに向ける時間の4分の3は魚次郎へ向いていた。
残りの4分の1を、魚太郎と花子で分ける感じ・・・・
ところが、魚太郎の苦しさにやっと気が付いた私は、
今は!と、魚太郎に意識集中!!
魚次郎はきっと、急に放された感じで寂しくなったのかも・・・ごめんね
「お母さん、お母さん。 大好きだよ~」と日に何回も言う
私に見て見て!ってアピールしてるんだろうな
つい最近は、完全に自立していた排泄なのに、
部屋の真ん中でジョーっとやって、「お母さん、ちっこ出た。」と言いに来たり
あ~、魚次郎もさびしい思いをしてるんだと、気持ちは焦るものの、
なんてったって、私自身発達障がいの母ですから、
今、魚太郎のことが気がかりになると、もう魚太郎のことに一点集中してしまうのです
花子がある晩言ってきた。
「お母さん、私今日、学校で〇〇君に叩かれた。すごく痛かった。
顔の真ん前に来て、『うざっ。』って言われて、花ちゃん悲しかったです。」と・・・・
「まあ、嫌だったねー。先生に言った?」
「言ってない」
「なんで言わんの?」
「先生いなかったんよ。」
「支援学級の先生もおったろう?支援学級の先生に言ったらいいでしょ?」
「もう、あのね、みどり学級に行った時は、もう忘れとったんよ。」
(*^m^*)ぷっ!忘れとったん!?
ここで感じたこと
花子は、いじめられても、「いじめるあいつが悪い奴だ!」と思って、
その場を離れたら、仲のいい友達といるうちに忘れることができる。
きっと、いじめられることを、自分が悪いからかな?として受け止めないから・・・
自己肯定感が育っているから
これも、小さいころからの療育のおかげ
親以外の、たくさんの大人に、花子は花子のままでいいという体験をさせてもらってる
比べて魚太郎は、いわゆるグレーゾーンと呼ばれる軽度発達障害のため、
私と同じくらいだから、きっと親が理解してたら大丈夫って、思ってた。
それで療育は一切受けさせてない
普通の発達の子供たちの中で、他人と自分と比較しながら大きくなった魚次郎は、
たくさん叱られたこともあり・・・
自己肯定感が育ってない
いつも自信なさげ・・・
ふたりお見舞いに訪ねてきてくれたように、友達ゼロじゃない。
それなりに仲のいい友達がいるのに・・・
「自分のどこがいけないんだろう?」って、全部自分のせい?って受け止めちゃうんかなあ・・・
それで気持ちはいじめでいっぱいいっぱいになっちゃうんだよね
そう思うと、本当に魚太郎には悪いことをしました。
療育の素晴らしさを今ぐらいわかっていたら!
もっともっと自己肯定感を育てることができただろうに・・・・
すまない気持ちで胸がいっぱいに・・・・
そんな私なのに・・・
魚太郎は
「僕のお母さんが、お母さんで良かった。お母さん、ありがとう。」
って、言ってくれた・・・。
泣きたくなった。
でも、ここで頭に浮かんだのは、現在あしびの園長先生のお言葉
「お母さんが気がついた時が、スタート。
受け入れるのも人それぞれ時間がかかるから、気が付いた時がスタートでいいんじゃないかな。
と、私は思うよ。」
今、先生のこのメッセージが私を救ってくれています。
魚太郎、ごめんね。
でも、お母さん、もうスタートラインから踏み出したからね
魚太郎の選択 学校に行かない④ [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
魚太郎の担任の先生が、心配して家に来てくださったり、
お電話をくださったり・・・
ありがたいことです。
魚太郎の反応は、
硬い表情で、「はい。」 「はい。」 「はい。」・・・だけ
何を言われても、
「はい。」
何を聞かれても
「はい。」
「魚太郎は、先生がきらいか?」
「はい。」
「どうしてキライか、教えてくれないかな?」
「先生は、君とずっと付き合っていきたいと思っているから、君が嫌いなところは治したいと思ってるんだよ。」
・・・・・・・
「学校に関わってるからです。学校に関わってる人はみんなキライ。」
「じゃあ、先生は、学校に来いとは言わない。これを約束しよう。
でも、魚太郎の気持ちを聞きたいんだ。好きな野球の話でも何でも、話してくれないかな。
また、来るよ。会ってくれるかな?」
「あー・・・・はい。」
ありがたいことです。
夕方7時ごろでした。
先生だって、ご家庭があって、早くお子さんのお顔を見たいだろうに・・・
と、思っていたら
晩御飯後にじいちゃんが、「先生も大変じゃ。ハズレの生徒を受け持ったばっかりに。」
・・・・・
魚太郎は、ハズレじゃない
なんで、そんな言葉を簡単に使うんだろう・・・
悲しかった。
2週間以上も学校へ行かないと、やっぱりクラスの中で「魚太郎どうしたん?」って話になったのか?
最初、違うクラスの友だちが訪ねてきてくれた。
魚太郎は、野球で家にいない時だったけれど・・・
その子は、いじめが高じて、骨折させられて、
でも、それ以降いじめられなくなったという体験を話してくれた。
嬉しかった。 魚太郎のこと、心配してくれる友達が学校にもいるじゃんか。
数日後、同じクラスで、魚太郎が大好きなクラスメートのK君が、お見舞いに来てくれた。
お菓子と飲み物を持って、「待ってるぞ。」って言ってくれた。
魚太郎も、うれしそうだった。
魚太郎の話によると、K君は、みんなの人気者らしい。
優しいいい子なんだなあ~
数日後、夜遅くに魚太郎が聞いてきた。
「お母さん、本当の本当の気持ちを言ってよ。遠慮とかなしで!本当の本当のこと!
お母さんさ、本当は俺に、学校行けよって思ってない???」
びっくり。
今頃にそんな質問かい???
「お母さんは、これっぽっちも学校行けとは思ってないよ。
学校なんか、傷ついてまで行かんでよろしい。そんなこと思ってないよ。
でも、お母さんが1番恐れているのは、お前が人間嫌いになることかなあ。
お母さんは、いろんな場面でたくさんの人たちに支えられて、
喜びは2倍、悲しみは半分になってきたから、
お前が、人と関わる素晴らしさを知らんまま生きていくことになるのは怖いなあ・・・・」
飛び切りの笑顔でした。
それからポツリ、ポツリ、
「K君にも会いたい。会いたいけど、会いたくない。K君も学校に関係してるから・・・・
K君みたいに会いたいと思う人がいるのに、会いたくない奴らがいて・・・・学校に行けない。
悔しい。」と・・・・(T-T)
小学校の時のいじめのことや、
どうやって気持ちを保つようにしたかとか・・・
話してくれました。
「お母さん、本当の意味でお前のしんどさをわかってあげてなくてごめんね」
「仕方ないよ。だってオレ、役者じゃもん。毎日笑って学校に行っとったろ?
いじめられて強くなったんよ。」って・・・・
この時点で、やっと、魚太郎が私に心の内を話してくれたことがわかりました。
今までは・・・・
話してるようでも、どこかで壁を作っていたんだと・・・・
「お母さんの嫌なところとかない?お母さんに直してほしいところとか?」
って聞いたら、
「お母さんは、100点満点。今のまま変わらんで! 今のままがいい。」
って、言ってくれた
あ~んあん ちっとも心に寄り添えてなかったのに・・・
子どもの愛は、母の愛よりでかいなと痛感
母ちゃん、もっともっと強く、優しくなりたい。
がんばるけえ、一緒に、歩いて行こう!!
魚太郎の選択 学校に行かない③ [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
魚太郎が、学校という場所を完全否定して1週間。
魚太郎の顔には笑顔が戻り、明るくなってきた。
それはいいことなんだけどね・・・
日中、家にいて、とりあえずテレビを見てたり、マンガ読んでたり、だらだらしてる我が子を見るのはツライ・・・
「みんなは勉強しているこの時間に、テレビ見て馬鹿笑いとはどういうことぞ!!」と思う私と…
「でも、今は癒しの時間よ。今までつらかったんだから、いいじゃん。」と、思う私と・・・
心の中でモヤモヤ、モヤモヤ
とりあえず母として、
この状況で、
きっと、
1番いけないことは、
家が、魚太郎にとって安らぎの場でなくなる状況を作ってしまうこと
ぐちぐち怒っちゃうとかね・・・ あ~、やってしまいそう
学校へ行けない、
昼間は人目が気になって外へも行けない、
家にいても居心地悪い・・・では、
いい方向に向かうはずもなし!
だから・・・
母の、気持ちのコントロールが大事
魚太郎の学校行かない宣言から5日目、
母はひとり、山へ洗濯へ行きました。 マジで。 心の洗濯へ。
近くの山へ車で行って、写真を撮ったり、ボーっとしてみたり。
それから、お友だちに電話して・・・・
相談しながら、自分の気持ちを見つめなおしたり・・・・
おかげで気が付きました
私は何を恐れて、心の中のモヤモヤが消えないんだろう!
学校へ行かないこと??? ちがうちがう
フリースクールにも行かないこと??? それも違う気がする
大事な魚太郎が、人との関わりを恐れて、ひとりで生きる道を選ぼうとすること?
そうだ! それが一番怖いんだ。
私は、今回も、今までも、たくさんの人たちに支えられてきた。
分かち合える人がそばにいたら、喜びは2倍。 悲しみは半減する。
だから、人とのつながりを持って生きていってほしい
その方が、きっと人生豊かになるから
何か、将棋倶楽部とか、カヌー教室とか、山登りとか・・・・
まずは大人でも、魚太郎と温かくかかわってくれる人たちとのつながりが持てるといいな。
大好きな野球には行けている魚太郎。
学校の部活じゃなくて、クラブチームだから(^^)
魚太郎にとって、私にとっても、野球の場があることは、本当に本当にありがたい。
どうか、腰椎分離症も悪化せず、ずっと野球ができますように
魚太郎の選択 学校に行かない② [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
11月6日土曜日 オペラ先生と園長先生が会って話を聞いてくださいました。
「私が、ストレス溜まってていけんかったんです。
また、ちょっと元気になったから、だいじょうぶです。すみませんでした~。」
などと、のんきに申した私
先生からのお言葉は、
「お母さん、魚太郎君、今一生懸命サイン出してますよね。
助けてーって、サイン出してますよね。
電池が切れそうだって、サイン出してくれて良かったですね。
切れてからでは、お母さんも、魚太郎君も、大変になりますよ。」って・・・・
そ、そうだったのか!
そこまで真剣に受け止めてなかった
そうか・・・そうだよなあ・・・・
魚太郎は、苦しくて、苦しくて、サインを出していたのに・・・
全く受け止めてなかった
そういえば、小学校の時も、
いじめられてもずーっと親には内緒にして、元気なふりして学校行ってたよな・・・
限界が来て、初めて言ってきてたよな・・・
あいつ・・・
そういうとこ、頑張り屋だからな
先生からは、まず、魚太郎を安心させてあげてとのアドバイス
不登校経験者がたくさん通っている高校も岡山にあるよ
フリースクールっていって、そこに行くと出席日数にカウントされる場所もあるよ
大丈夫、人生どうにでもなるよと・・・
それから、「あかね色の空を見たよ」という本を貸してくださいました。
5年間不登校で苦しんだ少年が、定時制高校に通い、
大人になって社会的に自立する人生を振り返って書かれた自伝の本。
魚太郎の苦しみを、本当の意味では全く理解してなかった私に気付き・・・
その日の夜には魚太郎に聞きました。
「学校、行くの嫌なん?」
「うん。なんでわざわざいじめられに学校いかんといかんの?」
「そうよな。 じゃ、学校行かんでもいいよ。これから、一緒に考えて行こう。
ひかり園の先生がいろいろ道はあるよって教えてくれたよ。」
魚太郎の心からの笑顔を見ました。
それだけずっと、辛かったんだね
この日から、私たち家族の新しい人生が始まりました。
魚太郎不登校の話は、記事にするのもどうかと思っていたけれど、 いずれ必ず、噂話で不登校のことが広がっていくだろうから、 それよりも、 魚太郎の気持ち、親の気持ち、このいきさつをゆがみなく、知ってもらえるように・・・・・ 特に、魚太郎がとても大事に思っている少年野球時代の仲間に理解してもらいたいと・・・・ 本人の希望もあって記事に載せることにしました。
つづく
魚太郎の選択 学校に行かない① [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
2学期になり、2週間に1度くらい
学校を休みたがった魚太郎。
どうしても身体が固まって行けそうにない時は、「いいよ~。」と休ませていた。
中学校のクラスで、イジメを受けているらしい。
「嫌な奴はどこでもいるから、優しくしてくれる人に気持ちを集中して、
嫌な奴は、お前も無視したらいいじゃん。」
なんて、魚太郎の本当の心の傷をわかろうともせず、
激を飛ばしてた私・・・・
11月第1週
学校の門まで車で送っても、いよいよ行けなくなり。
身体は固まる。動かない。吐きそうになる・・・。
それでも最初、私はまだ魚太郎の助けを求めるサインに気が付いてなかった
その頃、ばあさんの介護やら、釣りに行けないやらで、ははは(^^;)
ストレス気味だった私。
朝、ばあちゃんがオムツに排便してて、着替えるのに、私を待ってくれてたら助かるけれど、
たぶん気持ちが悪くて、自分でオムツを脱ごうとする。
うまくできるはずもなく、ベッド周辺あちこちにウンコがついてる
で、結果、私の仕事が増える。
おばあちゃんの着替え、ベッド周辺の掃除、布団の洗濯の下洗い。
ばあちゃんの立場になれば、気持ち悪かったんだなあとわかるから、仕方ないよなあ~と思う。
仕方ないよなあ~と理解できるけど、心の中では勘弁してくれよと、思ってしまう。
魚次郎はこだわって、寒いのに半袖のお気に入りのシャツしか着ないと泣く。
そのシャツは洗濯中。
着替えがうまく進まない・・・
で、朝の支度が魚次郎のバスのお迎えまでに全然間に合わない。
私自身の気持ちがいっぱいいっぱいでキィ~っとなってた
その朝、
魚次郎と魚太郎を乗せて、中学校へ向かい、
魚太郎が動けずに、休むことにして・・・
それからひかり園への道中
本当にかわいそうなことをしました。
あの朝、私がしたことは、明らかに虐待でした
私は泣きながら、号泣しながら、
「お母さんだって、人生なんか嫌なことが山ほどあって、いいことがちょびっとあるだけやん。
人生なんて、そんなもんよ。
自分の思い通りになんかならんの。
受け入れて、その中でがんばるか、もうやーめたって、生きるのを辞めるかしかないんじゃー
お母さんはもう疲れた。魚太郎、お前も人生嫌なら、お母さん一緒に死んでやる。
魚次郎はまだよくわかってないのに命を奪ったらかわいそうだから、
ひかり園に預けてからにしよう。」
おおお・・・・
車の中は、怖いところです。
自分のストレスが爆発してしまうところ。
泣くのはいつも車の中
魚次郎は、かわいそうに、神妙に黙ってる。
私が泣くと、肩をヨシヨシしてくれた・・・
魚太郎は、無言・・・・。
しばらく芦田川の土手で時間をつぶし・・・
魚次郎 「河童さんいるかなあ?」
私 「いると思うよ~。でも、川の深~いところにいるから、水に入っていかんと会えないねー。」
魚太郎 「寒いよ! 冷たいよ! 早く車に乗ろうよ!!」
不安な思いをさせました
ひかり園が児童を受ける時間が来たので、ひかり園にGO
泣いた後の私の顔を見て、オペラ先生が心配してくれた。
魚太郎が学校へ行けない話もした。
朝の帰り道・・・
魚太郎にどうする?って聞いたら、
もうちょっと頑張ってみるって・・・・
無理やりそう言わせたんだよね
がんばらないなら一緒に死のう!って言ったのと一緒だもんね
時間がちょっと経ったら、
自分がどんだけ恐ろしいことをしたのか、見えてきた。
反省
反省
超反省
ひでえ親だ
魚太郎に、「ひどいこと言ってごめんね。朝の話は、お前に対してじゃなくて、
お母さん自身が精神的に参っとったんだ。」と・・・・
魚次郎にも不安な思いをさせました。
あー、こんなんじゃ、いかん!
母ちゃんは、どっしり、にっこり、しとかんと!!
その日の夕方、オペラ先生がお電話くださって、
11月6日午後、私のために時間を作ってくださいました。
つづく (魚太郎の了解のもと、記事にしました。)
ばあちゃんまもなく100歳 [家族]
1910年11月20日 おばあちゃんが生まれた。
もうすぐ2010年11月20日がやってくる。
おばあちゃん 100歳
おばあちゃん1世紀を生き抜いてきたんだなあ~。
以前聞いたおばあちゃんの話
おばあちゃんが子どもの頃、
病気になったらお医者さんが馬に乗って往診に来てくれてたって
おばあちゃんの生きてきた人生の中で、
ランプの生活から、電球の生活になり~
冷蔵庫登場
電話登場
テレビ登場
洗濯機登場
車の登場
電気のない時代の生活なんて、今の私には想像もつかない
いろんなことが、もっとゆっくりで
で、人はいつも働いていたんだろうな。
戦争があって、愛するご主人を戦争に殺されて・・・
役所で戸籍係をしながら子育てして。
おばあちゃん世代の人々の頑張りがあって、今の裕福な日本があるんだよな~
今はひ孫と会話することと、毎日の、ほんのちょっとの晩酌が楽しみなおばあちゃん
冬には毎年咳が出る。
今年も、例年通り、熱はないけれど咳と痰
デイサービスは、ほかのご利用者にうつったらいけないからと、お休みで在宅中
なので、ばあちゃんはずっと家にいて、要介護
ここしばらく、じいちゃんが糖尿病の検査と治療で入院してた。
これで魚次郎がパニックになったり、
花子がぶーぶー文句言って来たり、
魚太郎がだらだらと時間関係なく行動してたりすると・・・
おかあちゃんにヒスがでる
正直、母ちゃん切れまくり
で、落ち込んだりして・・・・
気を取り直して、優しい母ちゃんになれたり・・・
でもまた、忙しくて余裕がなくなって、鬼ババかあちゃんになっちゃったり・・・
ははは・・・
まあ、いいか。
それが家族だから。
怒ったり、泣いたり、笑ったりしながら、
一緒に時間をすごすのが、家族だからね。
じいちゃん、退院
良かったあ~
11月20日は、盛大にお祝いしよう
なんてったって、100歳のお誕生日だからね
狩猟民族魚次郎 [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
秋になり~
我が家の庭には、バッタがたくさん
魚次郎は、まるで私の子供の時の様
虫捕り、魚捕りが大好き
園から帰ってきて、夕方必ずと言っていいほど庭に出る。
素手でバッタを捕まえる
「お母さん、バッタさん、見て~♪」と、連れてきてくれる
で、家の中で放して・・・・
トラがバッタで遊んだりして… アーメン
私も昔、よく蝶々を何匹も何匹も捕まえてきては、
部屋を締め切って、その蝶々を放して、ひらひら舞うその光景を楽しんでた。
で、出かけて、忘れて、翌朝蝶々の死骸だらけ・・・・みたいな
かまきりととんぼを捕まえて、同じ虫かごに入れて、かまきりの捕食を見て楽しんだり(^^;)
今思うと、本当にかわいそうなことをしました
そうやって、命の尊さを学んで~・・・・なんて・・・もっともらしいこと言えまへん
だって、私の大好きな趣味の釣りは、
疑似餌も使うけれど、時には生きてる青虫やえびに針をさして、海に沈めて、
で、食べに来た魚をひっかけて釣り上げるっていう殺生づくめの遊びですから
う~ん、こうして言葉にすると怖いなあ
でも、そのお魚を食べて、生きる糧にするんだから
ははは。
きっと私も魚次郎も、狩猟民族なんだわ
この写真、最近撮ったものです。
夏じゃありません。
肌寒くなった今日この頃・・・・
半袖を好む魚次郎
理由は「長いのは、カッコ悪いから」だって ???
そういえば、夏には、半袖はカッコ悪いと言い放ち、
なかなか着てくれず・・・
暑いさなかにひとり、長そでを着てたっけなぁ~
ひかり園の先生方も工夫に工夫を重ね、
ようやく、自分から半そでを選び始めた
それが・・・9月も終わり
う~ん。心配してた通り、11月になった今も、
毎朝半袖で登園
「寒い~!」って言うくせに、長そでは拒否
「寒いから抱っこして!」の一点張り
「長そで着たら温かいよ~♪」という誘いは、魚次郎の心には響かないようです
でも、園に着いたら、先生の説得で、気持ちを切り替えて長そでが着れる
何事にも、気持ちを整えるまでに、時間がかかる魚次郎君ですからね
この冬、いつになったら自分から長そで選んで着れるようになるかな???
・・・・・
3月終わりだったりして
ひかり園の運動会(^-^) [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
10月23日は、ひかり園と第二あしび園合同の運動会でした
ひかり園の園庭は運動会ができるほど広くないので・・・
身体障害者用体育館というところを借りて、開催されました。
だから雨でも、順延なし
初めての場所で運動会となると、子どもたちの不安感が高まるので、
運動会の1週間前に予行演習を
15日金曜日でありんした。
遥か彼方で、豆のように座っているのが魚次郎
初めての場所で、たくさんの保護者も集まって、緊張したのかな??
不安になったのかな???
開会式練習も全く参加できませんでした
こんな様子で、1週間後の運動会当日
デイサービスに行く予定のばあちゃん
朝、いきなり「あたしも魚次郎の運動会見たいけんど」と、泣きが入る
だよね・・・・見たいよね・・・・
と、言うことで、急きょデイサービスに電話して、お休みにして、
車いすで乗れる介護タクシーを呼んで~
おばあちゃんも一緒に運動会へGO
体育館について、不安な表情でなかなか集団行動がとれない魚次郎
だったけど・・・・・
大好きな先生におんぶされて、ちょっとテンション
さて、開会式~ あっちこっちうろうろする魚次郎
想定内・・・想定内・・・(^^;)
魚次郎の出番は、全部母ちゃんも協力するので、写真は取れなかったけど、
アンパンマン体操も
ガラガラドンのお話に添って作られた障害物競走も
お母ちゃんめがけてヨーイドンするかけっこも
全部一生懸命やることができました
1年前には考えられなかった光景
1年で、よくこれだけ成長してくれました
先生方の、見通しが立ちやすい環境づくりの工夫!
心に寄り添って、進めていく忍耐!
子どもの心が、コワい・・から、やってみたい・・に変わるまで工夫しながら待つ!という努力のおかげです
ひかり園、第二あしび園の先生がた、最高
心から、感謝です~
ただ、やっぱりお友だちの競技を応援するとか、
順番をじっと待つとか・・・
まだまだ、これからの課題ですねぇ~(^^;)
まあ、魚次郎のペースで、いつの日か、できるようになったら素敵だね
時々、おばあちゃんのところに行って、話しかけてる魚次郎
ばあちゃんも嬉しそう
年中さんや年長さんの競技中、体育館の別のスペースで、
お友だちとくるくるくるくる
しまいには、ゴロンとなる始末
まあ、こんなもんでしょう
年中さんでは、ドラム演奏もあり
さて、来年の運動会、魚次郎はどんな姿を見せてくれるかな??
やまびこする魚次郎の声 [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
お兄ちゃんの野球の試合の日
だんなは朝から選手と一緒にGO
私と花子と魚次郎は、後から追いかけるように車でGO
お山の方向へ走ること1時間くらい・・・
球場は自然豊かなところにありました。
着いたときは、別のチームが試合中。
魚太郎の所属するチームは、うれしいことに勝ち進み、
優勝決定戦の試合待ち状態
鬼太郎姿の魚次郎
カランコロンと下駄の音をたてて歩く・・・
それだけならまだ、良かった・・・
今試合中のチームの応援席の目の前のネットによじ登る魚次郎
試合の視界を邪魔してる
こりゃあ~いかん!と、慌てて魚次郎に「降りて!」と・・・
素直に言うこと聞く魚次郎じゃねえ~
仕方なく、応援しているチームの方に、会釈して、
ネットに掴む魚次郎を強引に引き離して、そのまま球場の外野側一番奥へGO
だって、大泣きするのはわかっていたから
「いや~! お母さんなんか大っ嫌い!バーカ!離したらいけんかったぁぁぁぁぁあ」
と、激怒する魚次郎。
「ごめんね。嫌だったねー。でも、応援してる人たちに迷惑だったんよ~。
いやだったねえ。ごめんね。」
と、謝る私をキック、キック、キック。 パンチパンチパンチ。
山奥で、エコーがかかるように鳴り響く魚次郎の泣き声と、怒りの叫び
近くでストレッチしてた数人の野球少年が、
びっくりしてこっちを見てた
「なんで叩かれるまま、蹴られるままなんだろう?あの母ちゃんは??」
とでも、思ってるのかな~・・・なんてことが頭に浮かぶ私。
結局人目を気にしちゃうんだよねえ
しばらくして・・・
見かねただんなが、やって来た。
魚次郎をひょいっと担いで、「魚次郎、虫取り行こうか^^」と笑顔で誘う。
もう、あのパニック状態では、当事者の私ではどうにもなりませんから^^;)
ここはそのままだんなに任せて、
私は自分の席に戻る・・・・
これがまた、ちょっと勇気が要ったんだよねー
「うるさくして、すみませんでしたー。」と頭を下げて、チームに戻る。
「いいよー。気にしないで~」
「いいよ~、仕方ないじゃん。気にしないで。」
という、皆さんのご理解とサポート
うれしかったです 感謝~
20分ほどして、携帯に魚次郎の笑顔の写真が送られてきました。
あ~、良かった
しばらくしたら、魚次郎は小さな栗を10個ポケットに入れて帰ってきました。
両手に長さ13センチはあるかという、BIGなバッタを持って
さて、魚太郎の優勝決定戦
惜しくも負けてしまいましたが・・・でも、準優勝
これで、県大会出場だあ
家に帰り、栗を料理してくれと訴える魚次郎
茹でて、皮向いて渡したら、
大喜び
顔中落書きしたすごい顔で、満面の笑み
栗をほおばって、幸せそう
球場いっぱい鳴り響いた魚次郎の泣き声には参ったけれど・・・
でも、考えようによれば、
魚太郎の野球チームの保護者の方々に、
魚次郎の弱いところを知ってもらうのにいい機会だったかなと・・・
半端ない癇癪
湧き上がる癇癪を抑えられずに、魚次郎も苦しいんだよね
今日一番うれしかったことは、帰りがけ、
先輩母さんのひとりが、「また、お子さんも一緒に応援に来たってな。」
と、声をかけてくださったこと
さりげない優しさが、心に沁みるぅ~
ありがとう