パニックに寄り添うこと・・・ [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
(因島フラワーパークにて撮影)
魚次郎くん、ひかり園に喜んで通っています。
夕方4時25分にバス停でお迎え
いつも笑顔で「お母さん」と言って笑顔で降りてきてくれる
今日も同じように、降りたけど、つないだ手を振り払って、走り出そうとする魚次郎。
バス停周辺は、危ないから、必ず手をつなぐように!と、園からの御達し。
「しまった!やばい!!」と母、魚次郎の手をガシッとつかんで、すぐさま抱っこ。
走り去る園バスに、「ばいば~い」と、手を振りました。
・・・・・・
・・・・・
・・・
うぎゃ~、「ぼくが自分でバイバイしたかった~」
と、魚次郎のパニック開始。
あ~やれやれ、始まったというのが、最初の母の感情
第一声は「魚ちゃんは、魚ちゃんでバイバイしたじゃん。上手にバイバイしてたよ。お母さんも先生にちゃんとバイバイせんといけんの!だから、お母さんもバイバイするんよ。」と、説明・・・・
今思えば、パニクッてる魚次郎に、そんな言葉が届くはずもなく
「じぶんで、バイバイしたかったー。お母さんバイバイしたらいけん!」と、
繰り返して泣き叫ぶばかり
通りすがりのおばさんたちが、じろじろみたり、どうしたの~?と声かけてきたり
歩くことも出来ず、うずくまる魚次郎
石を拾って、私に投げつけたい衝動と闘っているところ
写真の後、私に向かって投げるそぶりはしたけれど、
「お母さん石投げられたら痛いから嫌です!」って大声で言ったら、
結局私に向けては投げなかった。
上手に、車も、人もよけて、怒りを吐き出すように投げました(ホッ)
(パニック中も、ちょっとは配慮できる頭が残ってるんじゃんか!と、妙に感心した母でした)
まだまだ泣き叫ぶばかり。
車に乗って帰る道も、ず~っと「自分でバイバイしたかった~」・・・・・
上手にしてたよ!といくら言っても、
自分が描いていたようにできなかった思いはぬぐえないみたい
そうか!まず気持ちを受け止めて、寄り添わなくちゃ!!
「自分で、バイバイしたかったんよねー。ごめんね~。お母さんもバイバイしたらイヤだったんねぇ。」
少しだけ気持ちは治まるも、やっぱりぐずぐず繰り返し・・・
そうだ
朝、出かけに、「おもちゃやさんに行きたい」と言ってたので、
「ひかり園から帰ったら行こうね」と約束していたことを思い出し、
100円ショップのおもちゃコーナーに連れて行きました。
囚われていた心が、おもちゃのほうへ解放されて、
笑顔が戻った魚次郎。
あ~、やっと気持ちが切り替わって良かった
気に入ったおもちゃをひとつ買って嬉しくなった魚次郎。
車に乗り込んですぐ
「お母さん、ごめんね」
????
「ずっと泣いて怒ってたから?」と聞くと、
「うん」と、うなづいた・・・・・・・
「謝らんでもいいんよ。魚次郎も、悲しくて、悔しくて、つらかったんよねー。だから、泣いたんよねー。
でも、謝ってくれて、ありがとうね。お母さん、魚ちゃん大好きよ。知ってる?」って言ったら、
笑顔で「うん。知ってる。」って
正直、今回魚次郎が謝ったことに驚きました。
謝ったと言うことは、怒りと悲しみの感情に振り回されながらも、
そんな自分のをいやだな~と、感じていたのかな?
お母さんを困らせてるなあ~と、頭の半分で思っていたのかな??
感情をコントロールできない魚次郎もつらいんだなあと改めて感じた一件でした
それから、魚次郎のパニックに対する私のリアクションの悪さに反省
湧き上がる癇癪に振り回されている魚次郎に、どんな説明も効果があるはずがなし!
魚次郎の言うことを、同じように口に出して同意しなくちゃねー。
で、気持ちが治まってから、常識とか、モラルとか、倫理とか、状況の説明をしてこそ、
やっと彼の心に届くんだもんね~
で、思ったんだけど、実際夫婦でも、
妻「忙しい忙しいって、子どものことも家の事もほったらかしじゃない」
夫「仕事が忙しいんだよ。仕方ないだろう。」
では、お互いの気持ちが治まらないけれど、
妻「忙しい忙しいって、子どものことも家の事もほったらかしじゃない」
夫「だよなぁ、お前ばっかり家の仕事して子どもの面倒見て、大変だよなあ~。」
と、言うと
妻「あなたも、仕事で忙しいから仕方ないのよね・・」
と、いう風にうまくいったりするわけで・・・・
やっぱり、感情が一度吐き出されなければ、客観的な物の捉え方はできないかなあと思うわけです。
障がいあるなしにかかわらず、人間関係は、お互いに、理解してもらえること、これに尽きるんじゃないかな~
魚次郎くん、ひかり園に喜んで通っています。
夕方4時25分にバス停でお迎え
いつも笑顔で「お母さん」と言って笑顔で降りてきてくれる
今日も同じように、降りたけど、つないだ手を振り払って、走り出そうとする魚次郎。
バス停周辺は、危ないから、必ず手をつなぐように!と、園からの御達し。
「しまった!やばい!!」と母、魚次郎の手をガシッとつかんで、すぐさま抱っこ。
走り去る園バスに、「ばいば~い」と、手を振りました。
・・・・・・
・・・・・
・・・
うぎゃ~、「ぼくが自分でバイバイしたかった~」
と、魚次郎のパニック開始。
あ~やれやれ、始まったというのが、最初の母の感情
第一声は「魚ちゃんは、魚ちゃんでバイバイしたじゃん。上手にバイバイしてたよ。お母さんも先生にちゃんとバイバイせんといけんの!だから、お母さんもバイバイするんよ。」と、説明・・・・
今思えば、パニクッてる魚次郎に、そんな言葉が届くはずもなく
「じぶんで、バイバイしたかったー。お母さんバイバイしたらいけん!」と、
繰り返して泣き叫ぶばかり
通りすがりのおばさんたちが、じろじろみたり、どうしたの~?と声かけてきたり
歩くことも出来ず、うずくまる魚次郎
石を拾って、私に投げつけたい衝動と闘っているところ
写真の後、私に向かって投げるそぶりはしたけれど、
「お母さん石投げられたら痛いから嫌です!」って大声で言ったら、
結局私に向けては投げなかった。
上手に、車も、人もよけて、怒りを吐き出すように投げました(ホッ)
(パニック中も、ちょっとは配慮できる頭が残ってるんじゃんか!と、妙に感心した母でした)
まだまだ泣き叫ぶばかり。
車に乗って帰る道も、ず~っと「自分でバイバイしたかった~」・・・・・
上手にしてたよ!といくら言っても、
自分が描いていたようにできなかった思いはぬぐえないみたい
そうか!まず気持ちを受け止めて、寄り添わなくちゃ!!
「自分で、バイバイしたかったんよねー。ごめんね~。お母さんもバイバイしたらイヤだったんねぇ。」
少しだけ気持ちは治まるも、やっぱりぐずぐず繰り返し・・・
そうだ
朝、出かけに、「おもちゃやさんに行きたい」と言ってたので、
「ひかり園から帰ったら行こうね」と約束していたことを思い出し、
100円ショップのおもちゃコーナーに連れて行きました。
囚われていた心が、おもちゃのほうへ解放されて、
笑顔が戻った魚次郎。
あ~、やっと気持ちが切り替わって良かった
気に入ったおもちゃをひとつ買って嬉しくなった魚次郎。
車に乗り込んですぐ
「お母さん、ごめんね」
????
「ずっと泣いて怒ってたから?」と聞くと、
「うん」と、うなづいた・・・・・・・
「謝らんでもいいんよ。魚次郎も、悲しくて、悔しくて、つらかったんよねー。だから、泣いたんよねー。
でも、謝ってくれて、ありがとうね。お母さん、魚ちゃん大好きよ。知ってる?」って言ったら、
笑顔で「うん。知ってる。」って
正直、今回魚次郎が謝ったことに驚きました。
謝ったと言うことは、怒りと悲しみの感情に振り回されながらも、
そんな自分のをいやだな~と、感じていたのかな?
お母さんを困らせてるなあ~と、頭の半分で思っていたのかな??
感情をコントロールできない魚次郎もつらいんだなあと改めて感じた一件でした
それから、魚次郎のパニックに対する私のリアクションの悪さに反省
湧き上がる癇癪に振り回されている魚次郎に、どんな説明も効果があるはずがなし!
魚次郎の言うことを、同じように口に出して同意しなくちゃねー。
で、気持ちが治まってから、常識とか、モラルとか、倫理とか、状況の説明をしてこそ、
やっと彼の心に届くんだもんね~
で、思ったんだけど、実際夫婦でも、
妻「忙しい忙しいって、子どものことも家の事もほったらかしじゃない」
夫「仕事が忙しいんだよ。仕方ないだろう。」
では、お互いの気持ちが治まらないけれど、
妻「忙しい忙しいって、子どものことも家の事もほったらかしじゃない」
夫「だよなぁ、お前ばっかり家の仕事して子どもの面倒見て、大変だよなあ~。」
と、言うと
妻「あなたも、仕事で忙しいから仕方ないのよね・・」
と、いう風にうまくいったりするわけで・・・・
やっぱり、感情が一度吐き出されなければ、客観的な物の捉え方はできないかなあと思うわけです。
障がいあるなしにかかわらず、人間関係は、お互いに、理解してもらえること、これに尽きるんじゃないかな~