魚太郎の選択 学校に行かない⑤ [発達障がいと向き合って、楽しく生きる]
魚太郎が学校へ行かない日が続くと・・・
家族の中にもその影響が出てきた。
ひとつは魚次郎
魚次郎が生まれてから、私の子どもに向ける時間の4分の3は魚次郎へ向いていた。
残りの4分の1を、魚太郎と花子で分ける感じ・・・・
ところが、魚太郎の苦しさにやっと気が付いた私は、
今は!と、魚太郎に意識集中!!
魚次郎はきっと、急に放された感じで寂しくなったのかも・・・ごめんね
「お母さん、お母さん。 大好きだよ~」と日に何回も言う
私に見て見て!ってアピールしてるんだろうな
つい最近は、完全に自立していた排泄なのに、
部屋の真ん中でジョーっとやって、「お母さん、ちっこ出た。」と言いに来たり
あ~、魚次郎もさびしい思いをしてるんだと、気持ちは焦るものの、
なんてったって、私自身発達障がいの母ですから、
今、魚太郎のことが気がかりになると、もう魚太郎のことに一点集中してしまうのです
花子がある晩言ってきた。
「お母さん、私今日、学校で〇〇君に叩かれた。すごく痛かった。
顔の真ん前に来て、『うざっ。』って言われて、花ちゃん悲しかったです。」と・・・・
「まあ、嫌だったねー。先生に言った?」
「言ってない」
「なんで言わんの?」
「先生いなかったんよ。」
「支援学級の先生もおったろう?支援学級の先生に言ったらいいでしょ?」
「もう、あのね、みどり学級に行った時は、もう忘れとったんよ。」
(*^m^*)ぷっ!忘れとったん!?
ここで感じたこと
花子は、いじめられても、「いじめるあいつが悪い奴だ!」と思って、
その場を離れたら、仲のいい友達といるうちに忘れることができる。
きっと、いじめられることを、自分が悪いからかな?として受け止めないから・・・
自己肯定感が育っているから
これも、小さいころからの療育のおかげ
親以外の、たくさんの大人に、花子は花子のままでいいという体験をさせてもらってる
比べて魚太郎は、いわゆるグレーゾーンと呼ばれる軽度発達障害のため、
私と同じくらいだから、きっと親が理解してたら大丈夫って、思ってた。
それで療育は一切受けさせてない
普通の発達の子供たちの中で、他人と自分と比較しながら大きくなった魚次郎は、
たくさん叱られたこともあり・・・
自己肯定感が育ってない
いつも自信なさげ・・・
ふたりお見舞いに訪ねてきてくれたように、友達ゼロじゃない。
それなりに仲のいい友達がいるのに・・・
「自分のどこがいけないんだろう?」って、全部自分のせい?って受け止めちゃうんかなあ・・・
それで気持ちはいじめでいっぱいいっぱいになっちゃうんだよね
そう思うと、本当に魚太郎には悪いことをしました。
療育の素晴らしさを今ぐらいわかっていたら!
もっともっと自己肯定感を育てることができただろうに・・・・
すまない気持ちで胸がいっぱいに・・・・
そんな私なのに・・・
魚太郎は
「僕のお母さんが、お母さんで良かった。お母さん、ありがとう。」
って、言ってくれた・・・。
泣きたくなった。
でも、ここで頭に浮かんだのは、現在あしびの園長先生のお言葉
「お母さんが気がついた時が、スタート。
受け入れるのも人それぞれ時間がかかるから、気が付いた時がスタートでいいんじゃないかな。
と、私は思うよ。」
今、先生のこのメッセージが私を救ってくれています。
魚太郎、ごめんね。
でも、お母さん、もうスタートラインから踏み出したからね
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